科学という言葉を使うと、実験や観察などに基づいて真実を発見している、もしくは客観的な証拠で裏づけられているのだというイメージを持ちます。
この意味では、進化論は科学ではありません。進化は観察されたことがなく、実験することもできず、さらには裏づけとなる客観的証拠も無いからです。
ところで科学には、歴史科学という分野もあります。これは過去に何が起こったのかを調べようとするもので、考古学などはこれにあたります。もし進化論を科学として分類しようとするならば、この歴史科学に入るでしょう。ここで注意しなければならないことは、歴史科学においては解釈が重要な位置を占めているということです。
わかりやすくたとえるなら、歴史科学は探偵の仕事に似ています。
手がかりを集めて調べ、推理して考えたストーリーに当てはめていくのです。そのとき探偵が頭の中に持っている先入観が大きく影響します。同じ事実からでもまったく異なるストーリーを考えることが出来るからです。
ある病院で爆発事故があり、白い服を着た足を引きずって歩く人が病院から逃げ出してきたという事実があるとします。 探偵は「爆発で怪我をしたのだ」と解釈するかもしれませんし、「彼はもともと入院 していた患者だ」「足の不自由な医者だ」などと解釈するかもしれません。
進化論も、生命の多様性や複雑性に対する解釈のひとつに過ぎないのです。
先ほどの例は本人に確認すれば真実が分かりますが、生命や宇宙の起源については確認が出来ません。ですから解釈だけが独り歩きできるのです。もっと言うならば、これは信仰です。なぜなら何ひとつ実証できないからです。
では「生命や宇宙は創造主によって創造されたのだ」という考えはどうでしょう。これもまた信仰です。
これについても実証は出来ないからです。しかし、それでも、このどちらかが真実だということは言えます。事実、生命は存在しているのですから、これが 偶然によるものなのか、意図的な 出来事なのか、どちらかしか無いからです。わたしたちはどちらかの答えを選ば なくてはならないのです。
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