カテゴリーアーカイブ 進化論/創造論

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進化論の難題(その4)

恐竜は最近まで生きていた?!

恐竜は、およそ2億年前から存在し、人類が現れるはるか以前の6500万年前に絶滅したという進化論の説は定説になっていて、学校でも習ったことがあると思います。

ところが、ごく最近、恐竜は人類と共にいたのではないか、という報道を耳にすることがあります。実際、古代から中世にかけての遺物で、多くの恐竜の壁画やレリーフが存在するのですが(このページ2019年4月のトピックス参照)、さらに決定的な情報があるので紹介しましょう。

実は、恐竜の骨の中には化石化していないものが発見されています。古生物学者メアリ・シュバイツァー博士は、1994年、ティラノサウルスの骨の中に赤血球を発見した時、このように言いました。「それは、まるで現代の骨の薄切りのように見えた。当然、私はそれを信じなかった。そして、研究室の専門家に『その骨は6千5百万年前のものなのよ、どうして赤血球がそれだけの時を越えられたと言うの?』と言った。」(メアリ・シュバイツァー :モンタナ州立大学ロッキー博物館, サイエンス誌, 1994年7月号)」

彼女がサイエンス誌にその記事を投稿してすぐ、反論者たちの圧力でその記事が取り消されましたが、2005年に再投稿されました(下図;メアリ・シュバイツァー;サイエンス誌, 2005年)」)。 彼女は、その骨をモンタナ州ヘル川で見つけた時、それは、紛れもなく悪臭漂う死体であったことを詳しく記しています。(詳細は書籍『創造の疑問に答える』p.285~6参照)

さて、聖書には、恐竜(=地上の動物)について、地上の動物の全ての種類がノアの箱船で生き延びたことが書かれています。

 彼らといっしょにあらゆる種類の獣、・・・あらゆる種類の地をはうもの、・・・がみな、(箱船)に入った。(創世記7:14)

 すべての獣、すべてのはうもの、・・・すべて地の上を動くものは、おのおのその種類にしたがって、箱船から出て来た。(創世記8:19)

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進化論の難題(その3)

砕けなかった褶曲

地層が露出している場所に行くと、しばしば褶曲(地層が湾曲、または折れ曲がっている)が見つかります。写真(筆者撮影)は、和歌山県すさみ町の海岸にある“天鳥の褶曲”で、5mくらいの高さの岩に急激に折れ曲がった見事な褶曲が見えています。

進化論では、「地層とは一枚の地層が積もるのに何十万年もかかるので、分厚く何層にも重なった地層は地球の年齢が46億年である証拠である。」と言います。しかし、徐々に堆積して固まった地層が折り曲げられたのなら、その曲がった部分はひび割れて砕けているはずなのです。しかし、写真のように、そうではありません。

“褶曲”は世界中のどこにでもあり、褶曲でできた山脈も世界中に存在しています。(ヒマラヤ、アルプス、日本の火山以外の山々もそうです)。そして、山の下から上まで全体に褶曲していますが、どこもほとんど岩が砕けていないのです。これは、現代地質学の未解決な謎です。

しかし、聖書に書かれた、“世界を覆ったノアの洪水”という大激変が本当にあったのなら、一気に地層を堆積し、できたばかりの地層全体が柔らかいうちに褶曲して固まることは何ら不思議ではありません。

「こう言い張る彼らは次のことを見落としています。すなわち、・・・当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。」 (Ⅱペテロ3:5、6)

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創造におけるコロナウイルス

最近のコロナウイルスの突然の大発生は、進化論を裏付けるのか

by Robert Carter         Keith Barker 訳
この記事は、Creation Ministries International の許可を得て掲載しました。
Original: https://creation.com/コロナウイルス

National Pathogen Library National Pathogen Library 2019-nCovコロナウイルスの電子顕微鏡画像

世界に吹き荒れている新しいウイルスがあります。 私たちのほとんどがそれを「コロナウイルス」と呼んでいます。 それは最初に中国の武漢で確認され、すでに複数の国々で出現しています。 多くの人が亡くなりました。 私たちはこれをどう考えるべきなのでしょうか。 ウイルスは進化論を裏付けるのでしょうか。 創造論で説明できるのでしょうか。 これが神様がお創りになった「甚だよかった」創造の部分を成していることはあり得るのでしょうか。 今からお話することに心の準備はできていますか。 ウイルスについてのあなたの考えが、今まさに覆ることになりますから。

ウイルスのほとんどは有益

多くの人は聞いて驚くかもしれませんが、ほとんどのウイルスは体にいいものです。 人間の体内および体表の細菌の数は、人体を構成する細胞より多い、と聞いたことがありますか。 それは事実です。 しかし、腸内細菌よりも、腸内ウイルスの数はさらに多いということも事実です。 実に、人体内ウイルス集団(「ヴァイローム(virome)」と呼ばれる1)が人体内の細菌の数と種類を調整する重要な役割を果たしています2。 ウイルスがなかったら、私たちは腹ペコの腸内細菌群にあっという間に食べられてしまうかも知れません。
海に泳ぎに行ったことはありますか。 あるなら、あなたは高濃度の細菌のスープの中で泳いでいたのです。 海水には非常に多くの様々な細菌がいます。 人間の腸内と同様、外洋水域も細菌よりウイルスの方が数が多く、それらのウイルスはおそらく、細菌群の維持と均衡のために一つの役割を果たしているのでしょう。 ウイルスがなかったら、魚はどうなるのでしょうか。 生息できるのでしょうか。 これは、面白い課題で、いつか、進取の気性に富んだ若い科学者が答えを出すことができるかも知れません。
ご存知でしたか? あなたの細胞はウイルスの構成部分と同じものを作っています
湖に泳ぎに行ったことはありますか。 あるなら、あなたは細菌とウイルスのスープの中で泳いでいたのです。 その湖には、カモ、ハクチョウ、あるいはガチョウも泳ぎ回っていましたか。 それなら、あなたはインフルエンザウイルスに囲まれて泳いでいたのです。 実に、水鳥は、可能なあらゆる種類の、人間にはうつらないものも含むインフルエンザウイルスを保有しています。 これらのウイルスは、これらの鳥が排便するときに水に取り込まれます。 しかし、そのウイルスがそこにあることが、これらの鳥に病気を引き起こすことは普通はなく3、また、たとえそのウイルスがあなたの目、耳、口に入ってきていても、あなたに病気を引き起こすことはありません。 進化論を信じる人は、これらの鳥が(普通は)そのウイルスで病気にならない理由は、鳥とウイルスとの間の何百万年にも及ぶ戦争の末に停戦協定、つまり、宿主はウイルスに住む場所を与え、ウイルスは宿主を殺さない、という状態に至ったのだ、と言うかも知れません。 創造論の観点から言えば、インフルエンザのウイルスは、おそらく、これらの鳥のために、何かの有益な役割を果たしているのだろう、と考えますが、この課題にはまだ誰も取り組んでいないのではないかと思います。

一部のウイルスは、ゲノムから抜け出たかも知れない

ご存知でしたか? あなたの細胞はウイルスの構成部分と同じものをたくさん作っています。 私たちの体は、タンパク膜を作り、DNAとRNAを複製します。 DNAをゲノムの別の部分へ輸送するメカニズム等もあります。 従って、一部のウイルスは、通常の細胞活動で発生したのかも知れません4。 部品はすべてそこにあり、時どき、ほとんどウイルスのようなものが組み立てられています。 ほんの僅かな偶然の変化が起こるだけで、収拾がつかず拡散するものができ上がってしまうことが考えられます。

一部のウイルスは、本来の設計の制約から抜け出たかも知れない

pixabay.com カモをはじめとする水鳥は美しいが、すべての既知の種類のインフルエンザを保有している。

しかし、すべてのウイルスがゲノムに似たものではありません。 病気を引き起こす多くのウイルスは、目的を持って設計されたように見えます。 設計されたように見えるこれらのウイルスはどこから来たのでしょうか。 もし、細菌、ネズミ、あるいは人間の細胞に感染するように設計されたウイルスがあるなら、おそらく、そのシステムには抑制と均衡の機能もあるでしょう。 もし、抑制機能の一部が不全に陥るなら、そのウイルスは本来の設計より、はるかに速く複製することができてしまうかも知れません。 そうなったら、病気をもたらすことになります。 このように、「有益な」ウイルスが危険なウイルスに化けることが起こり得るかも知れません。 それには、ほんの僅かな突然変異が起こるだけでいいのかも知れません。 例えば、細胞認識因子に変化があると、宿主細胞は、あるウイルスを認識することができなくなるため、そのウイルスを調整できなくなります。

異種に飛び移るウイルスは特に危険

それでは、今回のコロナウイルスについて話を進めます。 これは、人類に属さないウイルスです。 異種間を飛び移るウイルスは人獣共通感染症(zoonotics)と呼ばれます(「zoo」の語があることに注目)。 インフルエンザ5、コロナウイルス科(今回の新型、SARS、およびMERS6)、およびHIV(AIDSの原因)を含む人獣共通感染症の証拠はたくさんあります。 これらのすべては人間に病気を引き起こします。 これらのうちいくつかは、長い間人類の間に留まりました。 しかしながら、幸いなことに、多くの新型ウイルスは燃え尽きます。 ウイルスはまた、時間とともに弱くなっていきます。 ウイルスは増殖の過程で、発生する突然変異を蓄積します。 時には、そうした突然変異によってウイルスは感染力を失うほど弱ることがあります。 しかし、いつもそうなるとは限らず、HIVや風邪のウイルス(これもコロナウイルスの一つ)のように、突然変異が蓄積していても感染し続けることができるものもあります。 自然消滅するかどうかは色々な因子が関与しており、ウイルスごとに異なります。

新興ウイルスの出現は現実の脅威

pixabay.com

歴史を通して、人類は壊滅的な疫病に襲われてきました。 その中には、黒死病のように、特徴がはっきりしているものがあります(これはノミが媒介した細菌によるものでした)が、困惑して頭を掻くしかないような、特徴のはっきりしないものもあります。 ただ、複数の古代の王国、文明、および都市が多数の病者と死者を出す甚大な被害に見舞われた時期があったことは、よく知られていることです。 歴史の記録から病気の原因を推測できる場合もありますが、できない場合がほとんどです。
創造の初めには、いかなる病気も存在しませんでした(死と苦しみについてのQ&Aを参照(英語))。 それなのに、これまでの六千年の間ずっと、病気は発生しています。 ウイルス性の伝染病は過去にすでに発生したから、将来はもう発生しないと期待できる理由はありません。 しかし、これだけで怖がる理由にはなりません。 むしろ、この地上で私たちは、はかない存在である、ということを厳粛に受け止めるべきだと思います。
感染拡散を防ぐため、あらゆる安全措置が講じられ、世界は新たな脅威に、より迅速に対応し始めています。 検疫、手洗いの徹底、およびワクチン接種はどれも、その戦略の一環であり、病原体の毒性、関連リスク、およびワクチン開発の糸口発見の有無、によります。 例として、最近のアフリカでのエボラ出血熱の突然の大発生について考えてみましょう。 その過酷な状況にさらされていた人々を助けるために何百万ドルもの費用を要しはしましたが、全世界への拡散を再度、防ぐことに成功しました。 もう一つの例は、現在、中国で吹き荒れている新型コロナウイルスの大発生です。 大変幸いなことに、20%前後だった死亡率がその半分ぐらいに下がってきました。 医師が経験を重ねることによって治療方法が改善され始めたことが、反映されているのでしょう。 しかし、死亡率がたとえ1~2%程度であっても、普通の風邪のように大流行したら、死者は何百万人にもなります。 しかし、科学界は非常に素早く対応しました。 短期間に、このウイルスの遺伝子配列の全容が複数明らかにされ、公開データベースに追加されました。 電子顕微鏡の写真も提供されました。 前例のない速さでした。

今回のコロナウイルスはこれからどうなるのか

ウイルスは神様が創造した秩序の一部を成しています
今回の新型コロナウイルスが、過去のウイルスの突然の大発生と同じ経過をたどれば、自然に燃え尽きる可能性があります。 これが、1917年に世界中で大流行して何百万人もの死者を出した人間のH1N1インフルエンザウイルスに起こったことである、と考えられています。 このウイルスは、40年間も存続した後、姿を消しました。 しかし、1976年に再び出現しました。 研究所の保管サンプルから流出したもので、33年も存続した後、2009~2010年の豚インフルエンザのパンデミック中に再び姿を消しました。 豚インフルエンザに関しては、致死性が特に高いウイルスではありませんでした。 これらのウイルスが持っていた致死性は、後の変種にはありませんでした。 また、人間のH1N1ウイルスが人類の中で存続できなかったという事実は、ウイルスが遺伝的エントロピーを経ていた良い証拠です。 実に、人間のH1N1ウイルスは、活動的だった期間に、年に14個超の割合で突然変異を蓄積し、絶滅する直前には、変異はゲノムの10%以上を占めていました7。 この結果は、事前に公表していたコンピューターシミュレーションとも一致しました8。 しかし、コロナウイルスはインフルエンザではありません。 また、このウイルスがどこで、どうやって現れたかも確かではありません(コウモリから(他の動物を経由して)出てきたようですが)。 いずれにせよ慎重な対応が必要であり、各国の医療体制はこれを深刻で差し迫った脅威として扱わなければなりません。 遺伝的エントロピーの効果が発揮されるまで、何十年も待つわけにはいかないのです。

私たちは各自どう対応すればいいのでしょうか

創造・呪いモデルでは、再び新たな病気が現れないと期待できる根拠はありません。 新たな病気が生じるとき、私たちは各自冷静にリスクを分析して、適切な予防策をとるべきです。 また、困っている人に対しては、それは自分の身に降りかかっていたかも知れないことを受けとめ、助けとなる気持を常に持つべきです。 寄付金も一つの助けとなるでしょう。 クリスチャンの援助団体を通してであれば、より望ましいでしょう。 しかし、それと同時に、私たちクリスチャンは福音を伝える機会を逸するべきではありません。 多くの場合、命が実際いかにはかないものであるか気付くとき、人はイエス・キリストによって与えられている希望を受け入れる姿勢を示す傾向があります。

まとめ

ウイルスは神様が創造した秩序の一部を成しています。 その多くは有益な役割を担っていることがわかります。 しかし、私たちが、多くの苦しみ、死、および病気で満ちている、罪のため呪われた世界に生きていることも事実です。 歴史を通して、一部のウイルスは危険なものになり、人類に計り知れない苦しみを引き起こしてきました。 必要に迫られ、人類はそれらを食い止めようと試み、革新的な戦略を開発してきました。 神様は私たちに長寿と健康のいずれも約束してはいません。 しかし、この罪のため呪われた世界も、私たちの病気で壊れる体もあがなうことを、神様は約束してくださいました。 というわけで、私たちの希望は、いずれにせよ今ここにあるこの地球にあるのではありません。 私たちの希望を全能の創造主なる神様に置こうではありませんか。 救いの時が近づいているのです。

 

備考・参考文献

  1. (virome)の概要 進化論に立つ所が発行したものですので、適切な注意を払って使ってください: sciencedirect.com/topics/immunology-and-microbiology/human-virome.
  2. Here is a paper from a biblical Creation-Fall perspective about the important function of the mammalian virome: Francis, J.W., Ingle, M., and Wood, T.C., Bacteriophages as beneficial regulators of the mammalian Microbiome, Proc. Int. Conf. Creationism 8:152–157, 2018; creationicc.org.
  3. Barber, M.R. et al., Association of RIG-I with innate immunity of ducks to influenza, PNAS 107(13):5913–5918, 2010.
  4. Terborg, P., The ‘VIGE-first hypothesis’—how easy it is to swap cause and effect, J. Creation 27(3):105–112, 2013. (VIGE = Variation-Inducing Genetic Element)
  5. Ma, W., Kahn, R.E., and Richt, J.A., The pig as a mixing vessel for influenza viruses: human and vertinary implications, J. Mol. Genet. Med. 3(1):158–166, 2008.
  6. A coronavirus (similar to the new coronavirus), the cause of Middle East respiratory syndrome.
  7. Carter, R.W., and Sanford, J.C., A new look at an old virus: mutation accumulation in the human H1N1 influenza virus since 1918, Theoretical Biology and Medical Modelling 9:42, 2012.
  8. Brewer, W., Smith, F.D., and Sanford, J.C., Information loss: potential for accelerating natural genetic attenuation of RNA viruses; in: Marks II, R.J., Behe, M.J., Dembski, W.A., Gordon, B., and Sanford, J.C. (Eds.), Biological Information—New Perspectives, World Scientific, Singapore, pp. 369–384, 2013.
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進化論の難題(その2)

最初の生命の起源

進化論では、38億年前に無生物(生物でない物質)から単細胞生物が発生した。そして、自然選択を繰り返すことで進化し、ヒトにまで進化した。」と言います。これが、現代社会のゆるぎない常識となり、世界中のほとんどの人が信じています。しかし、進化論は、どれほどの証拠に基づいているのでしょうか?

中学理科の教科書は、ダーウィンの進化論を次のように紹介しています。

【チャールズ・ダーウィンはガラパゴス諸島では島ごとに形が少しずつ異なる生物たちに出会い、彼の進化論は大きな影響を受けました。1859年に出版された「種の起源」の中で、「自然のなかでは同じ種であってもいろいろなタイプ(変異)が生じ、これらの間で競争が起こり、勝者が生き残る。自然は、この競争に強い性質を持った勝者を選び、代を重ねることで進化する」という自然選択説を説きました。】

まず、ここで、自然のなかでは同じ種であってもいろいろなタイプ(変異)が生じたのは、ダーウィンは種類の中の変異を見たのであって、別の種類への進化ではありませんでした。そして、未だに別の種類に進化したことは観測、確認されたことがありません。‘絶滅種’や‘絶滅危惧種’はよく耳にしますが、‘新登場種’や‘新登場期待種’なんて聞いたことがありませんね。

さて、ここでもう一つ、ダーウィンの説明には重大な欠陥が見えています。進化は既存の生物種に自然選択が起こるとしていますが、生命の起源、最初の生物の起源については(著書「種の起源」の中にも)一切触れていません。

今では単細胞生物の細胞内が電子顕微鏡で見えていますが、まるで大都市の構造のようであり、想像を絶する複雑さです。現代の進化論で、最初の生命(単細胞生物)がどうしてできたのか全く説明できていないのです。沼の澱みで、あるいは海底の熱湯噴出口で偶然に発生したと言われましたが、それでも説明できないので、宇宙から飛来したのではないか?と地球外生命の探査に望みをかけている有様です。しかし、それは出所を探しているのであって、生命の起源の説明にはなり得ません。

すなわち、観測事実は種類の中の変化のみで、それは生命の起源の説明にも、単細胞生物からヒトへの進化の証拠にもなりません。進化論とは、証拠に基づく科学ではなく、無神論を前提とした、人の意見(哲学)でしょう。

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進化論とその長い歴史年代は福音に影響するのですか?

二つの歴史、二つの死生観

聖書は終始、「創造主は、死のない世界を創造されたが、人の罪によって死が入り、キリストが十字架の死という代価を払って信じる者を死のない世界に買い戻す」という主のマスタープランを教えています。
すなわち、初めに死のない世界があり、数千年間死が介入として入り、将来死のない世界が回復させられるということです。(上図のライン1)
一方、進化論とは、「38億年くらい前に、偶然、最初の生物であるバクテリアが発生し、生存闘争を通して人間にまで進化した。」、すなわち、「死は世界の初めから存在し、死を通して生命が進化し、未来も死は永遠に存在する」と主張する学説です。(上図のライン2)

もし、クリスチャンが、進化論や、あるいは進化論が主張する膨大な歴史年代を受け入れてしまうとどういうことになるでしょうか? アダムの前に膨大な(進化の)年代があって、アダムの罪の前、いわゆるこの世界の初めから死が存在したことになり、キリストの贖いの理由と意味を喪失します。たとえば次の聖書箇所です。

 というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。(1コリント 15:21、22)

最後の敵として、死が滅ぼされます。(1コリント 15:26)

もし、初めから死があり、死を通していのちが出現したのなら、どうして死は最後の敵となり得たでしょうか。
人の意見から聖書を解釈するのではなく、聖書から世界を見る者とされたいと願います。

 聖書はすべて、神(創造主)の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。(2テモテ3:16)

図の引用:Answers In Genesis より
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進化論の難題(その1)

中学理科の教科書は、ダーウィンの進化論を次のように紹介していました。

【チャールズ・ダーウィンはガラパゴス諸島では島ごとに形が少しずつ異なる生物たちに出会い、彼の進化論は大きな影響を受けました。1859年に出版された「種の起源」の中で、「自然のなかでは同じ種であってもいろいろなタイプ(変異)が生じ、これらの間で競争が起こり、勝者が生き残る。自然は、この競争に強い性質を持った勝者を選び、代を重ねることで進化する」という自然選択説を説きました。】

ここで、「自然のなかでは同じ種であってもいろいろなタイプ(変異)が生じ」たのは、ダーウィンは自筆の通り種類の中の変異を見たのであって、別の種類に変化したのを観測したのではありませんでした。しかし、ダーウィンは代を重ねることで、種類を超えて‘微生物から人間にまで’進化するという説を説いたのです。しかし、人類の歴史の中で種類が変化したという例は一度も観測されたことがありません。すなわち、観測事実は、種類の中の変異(種分化)はあるが、種類を超えて微生物から人間にまで進化する(大進化)はないことを示しています。さて、種類を超えて進化しない理由は多くありますが、その一つを紹介しましょう。図で、犬の両親が共に中くらいの長さの毛(長い遺伝子Lと短い遺伝子S)を持っています。彼らの子どもは、短い毛SSが1、中くらいの毛LSが2、長い毛LLが1の割合で生まれます(メンデルの法則)。それらの集団がいる地域に大寒波が襲うと、長い毛の犬LLだけ生き残り、短い毛SSと中くらいの毛LSの遺伝情報は消滅しました(自然選択)。しかしまだ犬です。微生物から人間に至るのに必要な大量の遺伝情報の増加はどこにも見当たりません。逆に、遺伝情報は減少しており、進化ではなく退化です。(詳細は書籍「創造の確かな証拠」の27~32ページをご参照ください)

聖書にはこう書かれています。

神(創造主)は、種類にしたがって野の獣を、種類に したがって家畜を、種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。(創世記1:25)

 

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ウルル(エアーズロック)の成因

  写真は、光年の謎を解く二つの理論を提唱した物理学者ジョン・ハートネット博士の自筆の油絵「ウルル」です。それに因んで、ウルルの成因についてお分かちします。

  ウルル(エアーズロック)はオーストラリア中央部の砂漠の中にある高さ350m、周囲9㎞の堆積砂岩でできた一枚岩です。C.トワイデイルら地質学者たちがその構造を調査し、成因について次のように発表したことが通説になっています。

  『6億年前から水がマズグレーブ山脈を浸食した砂を100㎞北にある大きな窪みに徐々に堆積、3.5億年前に固まって砂岩の塊になり、地殻変動の圧力で傾きながら隆起した。その後、長い時間をかけて表面がゆっくり浸食、現在の形になった。』 しかし、ウルルの岩質については進化論の長い地質年代で説明できていません。

  実際、ウルルの岩質は水による粗い花崗岩や長石の粒子砂岩で、粗い粒子と細かな粒子が混在していて全く分類されておらず、ウルルのどの堆積層も同様です。もし、長い時間かけて水底に堆積したのであれば、粒子の粗さで分別された地層になり、細かい粒子は粘土になったはずです。また砂岩の表面は、粗い粒子が浸食されずに鋭いエッジが立っており、新しい証拠です。もし何億年も経っていれば、このような砂岩の一枚岩は熱と水分と風で風化して崩壊しているはずで、結局、どうしてウルルが存在しているのか、謎となっているのです。

  聖書には、約4500年前に世界を覆ったノアの時代の洪水が記されていますが(創世記7章)、それが起こったのなら、ウルルの成因をすっきりと説明します。

 『巨大な淵から湧き出た大量の水が地表を削り、粗さを分別する間もなく一気に窪地を埋め、洪水中の地殻変動で隆起して傾き、洪水の終わりに引いていく水流で表面が削られ、現在の形になった。』

 地質調査でも、オーストラリアの砂漠はかつて水浸しで、今に至るまで渇き続けていると報告されています。

  ・・・彼らは次のことを見落としています・・・当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。(Ⅱペテロ3:56

参考文献: The origin of Ayers Rock Andrew Snelling)  http://creation.com/ayers-rock で閲覧できます。

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ネアンデルタール人の真相は?

 『20万年前に現れたホモ・サピエンス(ヒト)は、アフリカから中東へ移動、そこでネアンデルタール人に出会い、交配して遺伝子が混ざり合い大きく進化した。しかし、ハンターだった猫背で屈強なネアンデルタール人は、その後絶滅した。生き残ったのは、きゃしゃな体のヒトだった。その理由は知性が進化したからた。』このように、ネアンデルタール人とヒトとの関係について最近解ったというので、昨年、NHKスペシャル「人類誕生」で放映されました。

 しかし、現在判明している事実から整理するとおかしいのです。理論的にヒトはヒト以外の生物(サル、類人猿)との間で子どもが生まれることはありません。DNAの長さが違うからです。ですから、ヒトとネアンデルタール人との間で子どもが生まれたのなら、ネアンデルタール人は完全にヒトです。進化もあったはずがありません。なぜなら、世界のどの民族間でも子どもが生まれますが、生まれた子どもは全てヒトであって、ヒト以外の生物に進化したことは一切ないからです。

 一方で、ネアンデルタール人とヒトとの関係について創造論で最近解ったことを紹介します。証明はできませんが、聖書からこう理解できるということです。白人と黒人の間に生まれた子どもは白と黒の遺伝子を半分ずつ持っています(専門用語でムラ―トという)。そしてムラート同士の間には白から黒まであらゆる皮膚の色の子が生まれることはよく知られています。

 さて、アダムとエバがムラートであったなら、次の世代であらゆる皮膚の色をした子どもたちが生まれたはずです。そして、バベルの人たちは言語を乱されて荒野に散らされた時、彼らの中にあらゆる皮膚の色の人がいたでしょう。日照の多いアフリカに移住したグループで白い人は皮膚がんなどで数を減らし、日照の少ないヨーロッパに移住したグループで黒い人はビタミンD不足のくる病(猫背)などで数を減らしました。ついにはアフリカでは黒い皮膚の人、ヨーロッパでは白い皮膚の人ばかりになりました。これは遺伝子が減少したので退化です。ネアンデルタール人の骨はくる病の症状が見られます。黒い皮膚の人だったのでしょう。バベルから出た人たちはしばらくの間、洞穴に住み、石器を作って生活しました。(石器時代)

 キリストはアダムの家系に生まれられました。あなたは100%アダムの子孫ですか?そうでなければ、キリストの福音の対象から外れてしまいます。

 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」(第1コリント15:22)

(詳細は、ドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第18章をご参照ください)

画像はムラートの両親から生まれた双子 Creation Ministries International 提供 creation.com
 

 

 

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恐竜はいついたの?

 恐竜がいたのは2億5千万年前から6500万年前までで、人類が現れるはるか以前に絶滅したと言われています。恐竜は、何十億年という進化の歴史を物語っていると、今日の多くの人たちが疑いもなく信じているようです。しかし、もっともらしく紹介されていても、実際は謎だらけなのです。

 一方で、恐竜が人間と同時に生きていたという証拠は多くあります。その一つを紹介しましょう。1841年にイギリスでリチャード・オーエン卿が巨大な化石を発見したことで初めて過去に恐竜がいたことがわかったとされました。しかし英国北部のカーライル大聖堂の床に1496年に造られたリチャード・ベル司教の墓がありますが、真鍮細工が施され、多くの動物と並べて恐竜が彫られています。それは化石から復元したシュノサウルスにそっくりです。これは当時の人たちが生きた恐竜を見ていたということでしょう。(写真:CMI Creation誌 Vol..36, 2014) 聖書にもドラゴン(tannin)の記述(ベヘモスなども)があります。もし、聖書の記述を字義通りに受け取るなら、人間と恐竜が共存していたはずです。(ドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第19章 参照)

「神(創造主)は仰せられた。・・・家畜や、はうもの、野の獣を、種類にしたがって。・・・地のすべてのはうものを造られた。・・・さあ人を造ろう。・・・神は人をご自身のかたちとして創造された。・・・夕があり、朝があった。第六日。」(創世記1:24~31)

(詳細は、ドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第19章をご参照ください)

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創造か進化かということは科学で証明可能か?

(1)「創造論は聖書を科学で証明しようとしているのですか?」、(2)「創造論と進化論は、どっちが科学かで論争しているのですか?」と質問されることがよくあります。答えはいずれも「いいえ」ですが、いつも理由を簡潔に説明することが難しいのです。今月はそれに挑戦して書いてみますが・・・。

まず、宇宙や生命の起源について、遠い過去に何があったかは再現実験できないので、科学で証明することは不可能です。これが(1)の答えの理由です。ですから、起源を扱う進化論も創造論も、何かを前提に解釈するしかありません。近年、進化論学者の意見と創造論学者の応酬がありました。

「あたかも知性によってデザインされたように見える生命が、いかにして偶然にできたのか、そのシナリオを追求するのが(進化論)生物学である。」(リチャード・ドーキンス博士)

「あたかも生命が知性によってデザインされたように見えるのは、実際に知性によってデザインされたからであるという可能性を無視してはならない。」(フィリップ・ジョンソン博士)

ここで、ドーキンス博士のことばに注目すると、初めに結論ありきであることがわかります。「デザイナーが存在しない、偶然にできた」という不確かなことを前提としているのです。ですから、ジョンソン博士はその逆の前提があり得ることを指摘しました。もう明らかですね。進化論と創造論は、それぞれ互いに相反する‘創造主が存在しない’、‘存在する’を前提とした世界感であり信仰です。そして、科学とは自然界のしくみや法則を知るための手法(ツール)であると言えます。これが(2)の答えの理由です。

すなわち、進化論も創造論も世界感ですが、必ずどちらかが真理です。だれもがそのどちらかを信仰で選び取っています。しかし、聖書は次のように言います。

なぜなら、神(創造主)について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。(ローマ1:19、20)