1920年代に、天文学者エドウィン・ハッブルはウィルソン天文台の望遠鏡を通して重大な発見をしました。ガスの雲と考えられていた不明瞭な光の断片、その一つ一つが銀河であることを発見したのです。彼は宇宙の規模を明らかにしました。(今では全宇宙に2兆もの銀河があると言われています。)さらに、ハッブルは私たちから見て、どの方向にある銀河も一様に私たちから遠ざかる運動をしていることを発見しました。それは素直に解釈すれば、膨大であっても限りある大きさの宇宙全体が膨張していて、私たち(の天の川銀河)がその中心にいるということです。
しかし、ハッブルはそのように考えませんでした。彼の著書「宇宙の真相」にはこう書かれています。「そのような状態は、私たちが宇宙の特別な位置にいることを意味する、・・・しかし、特別な位置という想定は何としても避けなければならない、・・・絶対に受け入れられない。なぜなら、宇宙はどこも均一であると仮定しているのだから・・・。」 (ニュートン別冊 宇宙論第2版 参照)
ここで、1千億もの銀河の中で私たちの天の川銀河が宇宙の中心にある確率は2兆分の1です。偶然にはそうなりえないでしょう。どうしてもそこに意志とデザインがあるはずだからです。
ですから、ハッブルはこう続けました。「そのおぞましい特別な場所をなくすためには、空間の曲がりを加えて補正しなければならない。」 こうしてできたのがビッグバン理論です。「宇宙空間が重力で球の表面のように曲がっていて、そこに全銀河がはりついているとしよう。ビッグバンによってその球が膨らんでいるなら、宇宙のどこにいても他の銀河が自分から遠ざかるように見えるだろう、と。
すなわち、ビッグバン理論とは実験で検証できるタイプの科学ではなく、宇宙の特別な位置を無くすること(無神論)を前提にした推論(モデル理論)であると言えます。ですから、聖書に書かれた世界創造をビッグバンに結び付けるべきではありません。最近、SDSSなど複数の観測機関が宇宙のマップを描いていますが、どれも、銀河が集まって、私たちがいる天の川銀河を何重にも取り巻いている様を見せています。今また、私たちが宇宙の中心にいるように見えているのです。
(詳細は、ジョン・ハートネット著 光年の謎と新宇宙論 第5章を参照ください)
Picture: by Dr. John Hartnett
天地創造の六日間が普通の日(地球1回転)であるという理解は今日のキリスト教界で極めて少数派です。このことには進化論に合わせようとして、何十億年という年代を聖書に当てはめようとした神学解釈(有神進化論)が背景にあります。地球の年齢が(何十億年と)古ければ、徐々に堆積した厚い地層とそこに埋蔵された化石が進化の歴史を示していると主張する進化論と調和し、福音とも矛盾しない穏健な解釈と考えられたのです。 しかし、その解釈をもう一度聖書に戻すと福音に根本的な問題が現れます。すべてのものが死滅する世界で、より強いものが子孫を残して徐々に変化(進化)し、アダムに至ったのならどういうことになるでしょうか? すなわち、主の創造の中に大量の死、病気、闘争、苦しみ、災害があったことになり、次の聖書箇所と矛盾します。
「神(創造主)はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。」(創世記1:31)
さらに、アダムが罪を犯す前に死が存在したことになり(上の絵)、次の聖書箇所と矛盾します。
「というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわちアダムあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」(1コリント15:21、22)
進化、あるいは有神進化の解釈に立って、果たして自分自身が完全にアダムの子孫であると信じることができるでしょうか? しかし聖書は、アダムの罪で堕落して死ぬ世界になったので救いが必要になったのであり、キリストの贖いの対象はアダムの子孫であることを告げています。それゆえ、キリストは創造主であられるのに、あえてアダムの血族に生まれられ、救い主として、私たちの身代わりとなって十字架で死なれ、そして復活されました。(系図:創世記4、5、10、11章、マタイ1章)
(詳細はドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第2、3、5章、カール・ウィーランド著「創造の確かな証拠」をご参照下さい。) 絵の版権 Picture Copyright:Creation Ministries International http://creation.com
最近、動物や大自然を扱うテレビ番組が盛んにダーウィンと進化論を紹介しています。特に恐竜については、テレビ、博物館、教科書、雑誌、子どもの絵本でさえ、人間が現れるはるか以前(6500万年前)に巨大隕石が地球に激突して絶滅したという説明を見聞きしてきました。ですから、恐竜とは何億年という進化の歴史を物語っていると信じられています。しかし、現実は謎だらけで、全く検証されていません。
謎1)‘場違い’な場所で見つかる恐竜の化石――①小型恐竜の遺骸が、恐竜絶滅後とされている哺乳類(化石)の胃に見つかった。②恐竜の化石の地層に植物の化石はほとんどなく、土壌の化石は全くない。など。
謎2)調査が進み、恐竜絶滅と隕石衝突の年代は無関係。隕石がもたらしたと主張されたイリジウムの地層は、今ではうやむやにされている。
謎3)化石化していない恐竜の骨(何千万年前ではない)――アメリカでティラノサウルスの骨が見つかり、その骨髄に赤血球が残っていた。
ところで、龍の伝説が多くの文化にあるのを不思議に思いませんか? 干支の龍、欧州の竜退治伝説(日本にも?)、英国の教会やアンコールワットの恐竜の彫り物(上の写真)、世界中の洞窟壁画などは化石から復元した恐竜にそっくりです。聖書にもドラゴン(tannin)の記述(ベヘモスなども)があります。もし、聖書の歴史を文字通り受け取るなら、人間と恐竜が共存していたはずです。そして、ほとんどはノアの洪水で死滅したのでしょう。(化石の成因)。
箱船に乗って(約50種、子どもの恐竜なら十分乗れた)生き残ったものから再び世界中に散らばりました。少し遅れて人間がバベルの塔から散らばったことで、世界各地で遭遇したはずです。他の多くの動物と同じように退治され、次第に数を減らして絶滅したのかもしれません。絶滅は進化ではありません。そして、恐竜が恐竜でないものから進化したことを証明する化石はありません。
進化論より聖書(創造論)の方が恐竜の謎をすっきりと説明します。私たちは今日、生物が新たに出現(進化)するのではなく、絶滅ばかりを見ているではありませんか。
(ドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第19章 参照)
一般的にノアの箱船は史実ではなく神話と考えられています。地上の全ての動物種が箱船に乗ることはないと考えられているからです。しかし、そう主張する人たちは、このことをじっくり考えたことがありません。この絵は実際に聖書(創世記6:14~16)に書かれた箱船の形と規模を表しています。その大きさは、長さ137m、幅23m、高さ13.7mで体積は43,200立方メートルです。これは大型フェリーの大きさで、羊240匹収容できる貨車522両分に相当します。一方、箱船に乗ったという動物‘behemah’は地上の動物を表していて、創造の種類(交配して子どもができる範囲;オオカミもコヨーテもイヌである)は多く見積もっ16000種類です(創世記6:19、20、7:2、3)。そしてその平均の大きさは羊よりはるかに小さいのです(子どもなら小さなねずみくらいです)。もし、動物のつがいを平均50cmx50cmx30cmのおりにいれると、16,000種で1200立方メートルになり、貨車14両強に相当します。これは箱船の収容スペースのたったの2.8%で、残りは空気、動くための余裕、食料、人間のためのスペースに十分です。(創造の疑問に答える・第13章参照)
箱船はアララテ山に漂着し、動物たちが繁殖し、全世界へ散らばりました(創世記8章、11章)。人間も箱船に乗ったノアの家族八人から全ての民族が分かれ出ました。船という漢字は舟と八と口(人口のように人の数を表す)でできていて、そのことを象徴しているように見えます。(創造の確かな証拠・48ページ参照)
創造主は洪水で当時の世界を裁かれましたが、救いの箱船が備えられていました。今この時代にも、完全な救いの箱船が備えられていて、そのドアとなられた方(イエス・キリスト)がおられます。
私は門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら救われます。また、安らかに出入りし、牧草を見つけます。(ヨハネ10:9)
ジョン・ハートネット博士は、光年の問題(聖書が教える約6千年前の天地創造と、光が百億年かけて届く距離の銀河が見えているという矛盾)に取り組み、宇宙空間が急激に膨張したなら宇宙に比べて地球の時間が引き延ばされることを計算し、一旦解決しました(時間引き延ばしモデル)。ところが博士は2017年に来日し、光年の謎を解くもう一つの全く違った考えのモデルを紹介したのです。それは創造の週の第4日目の星の創造とは、それらの星が創造された時の光が最初に地球に届いたことを言っているという理解です(時間規定モデル:初めの提案はジェイソン・ライルによる)。
これは、あらゆる出来事の認証は、観測者に光が届いた時に「現れた」と認証されることから、聖書もその語法で書かれていると理解するものです(時間規定のモデル)。観測者に「現れた」とは、単に語法だけでなく、その物理的背景も紹介されました。
光の速さはどの方向にも同じと想定されていますが、それを検証することは不可能です。例えば2つの時計を合わせるには必ず光を往復させなければなりません。片道の光では離れた場所の時計合わせができないので光速は絶対に測定できません(現在言われている光速は往復の平均値)。すなわち、宇宙全体に同調して流れる絶対的な時間は存在しないのです。ですから、宇宙で起こった出来事について、地球時間のいつ起こったかという認証は、地球にその出来事の光が届いた時以外ありません(相対性理論)。このモデルでも光年の問題は解決しました。出エジプト20:8~11とも矛盾しません。
ここで、なぜ、複数のモデルが可能なのか?宇宙に関する研究は光を観測するのみで、実験検証ができません。たとえば、宇宙が膨張していると言われていることも解釈の一つであり、検証できません。また、世界の起源に関することは、どこまでが創造主の超自然の業でどこからが現在の物理法則による営みなのか、人間には絶対にわからないからです。それで、聖書的創造論とは、聖書のみことばを前提に考察していても、絶対的ではなく、いくつもの理論が可能です。しかし、聖書のみことばは唯一で、変わることがありません。
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みなさんは、聖書を読んだことがあるでしょうか?
実はそこにはあなたにも関係のある、素晴らしいメッセージが込められているんです!
全宇宙の創造主なる神は、わたしたち人間を特別な存在として造り、特別に愛して下さっています!
しかしわたしたちは創造主を無視して生きるようになってしまいました。
その結果、人生の本来の意味がわからなくなり、心はゆがみ、 互いに傷つけあい、悪いことを行なうようになったのです。
創造主は、わたしたちが積み重ねてきた罪を不問にすることはできません。
そして、罪の報いは永遠の滅び、地獄の刑罰であると、はっきり告げているのです。
しかし、素晴らしい知らせがあります!
創造主はわたしたちへの深い愛のゆえに、なんと人間イエスとなって この地球に来られ、本来わたしたちが受けるべき地獄の刑罰を、十字架で身代わりに受けてくださったのです。
また復活を通して、ご自分が生命の創造主だと証明しました。
もし創造主に対して自分の罪を認め、イエスの死と復活が自分のためだと 心から信じるなら、あなたは永遠の滅びから救われます!
人生の意味は回復され、創造主と永遠に生きるようになるのだと、聖書は約束しているのです!
科学という言葉を使うと、実験や観察などに基づいて真実を発見している、もしくは客観的な証拠で裏づけられているのだというイメージを持ちます。
この意味では、進化論は科学ではありません。進化は観察されたことがなく、実験することもできず、さらには裏づけとなる客観的証拠も無いからです。
ところで科学には、歴史科学という分野もあります。これは過去に何が起こったのかを調べようとするもので、考古学などはこれにあたります。もし進化論を科学として分類しようとするならば、この歴史科学に入るでしょう。ここで注意しなければならないことは、歴史科学においては解釈が重要な位置を占めているということです。
わかりやすくたとえるなら、歴史科学は探偵の仕事に似ています。
手がかりを集めて調べ、推理して考えたストーリーに当てはめていくのです。そのとき探偵が頭の中に持っている先入観が大きく影響します。同じ事実からでもまったく異なるストーリーを考えることが出来るからです。
ある病院で爆発事故があり、白い服を着た足を引きずって歩く人が病院から逃げ出してきたという事実があるとします。 探偵は「爆発で怪我をしたのだ」と解釈するかもしれませんし、「彼はもともと入院 していた患者だ」「足の不自由な医者だ」などと解釈するかもしれません。
進化論も、生命の多様性や複雑性に対する解釈のひとつに過ぎないのです。
先ほどの例は本人に確認すれば真実が分かりますが、生命や宇宙の起源については確認が出来ません。ですから解釈だけが独り歩きできるのです。もっと言うならば、これは信仰です。なぜなら何ひとつ実証できないからです。
では「生命や宇宙は創造主によって創造されたのだ」という考えはどうでしょう。これもまた信仰です。
これについても実証は出来ないからです。しかし、それでも、このどちらかが真実だということは言えます。事実、生命は存在しているのですから、これが 偶然によるものなのか、意図的な 出来事なのか、どちらかしか無いからです。わたしたちはどちらかの答えを選ば なくてはならないのです。